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Je vous remercie d'être venus       Début Déc.2006


by luna581
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良い子はみんなご褒美がもらえる

ラスト浮遊するバイオリンは魂である。命の源である。
若者イワノフはバイオリンを受け取り、中年イワノフは受け取りを拒絶する。
少年イワノフ(息子:サーシャ)の声がこだまする。「パァパァ~嘘をついぃて~」
主人公が指揮台に立ち、棒を振るところで幕となる。
イワノフは良い子になったのか?指揮する側になったのか?それとも・・・。

当初からラスト直前まで指揮をするのは軍人だ。軍人が指揮する世界での物語として始まる。オーケストラは大衆であり、ひとりの人間をも表す。偶には不協和音も奏でる。
頭でオーケストラの音楽が鳴っている若者イワノフは精神病院の患者である。彼に聞こえる音楽は一個人の想いである。誰にも聞こえない音楽は妄想とされているが彼の思想である。彼が鳴らすトライアングルは体鳴楽器である。それ自体の振動によって音を発する楽器である。人間であれば言葉であると解釈する。警鐘へと繋がる。大衆には聞こえない言葉でしか警鐘出来ない若者と解釈できる。
そして、著名な作家故に、投獄されず、統合失調症と診断することで、精神病院へ収容された思想犯の中年イワノフ。彼の文学や言論は、警鐘だけに留まらず、次世代へと、文字・書物として継承されてゆくと予測される。院内で拷問を受け、抗議のハンストを続け、言動に翻弄され、肉体的にも精神的にもボロボロだ。
隔離された二人の関係性は若者=中年だ。表現が違えど主張している表現している。誰にも聞こえない音楽と、訴えかけることが出来ない反体制の言葉。若者の音楽も中年の文章も権力者には狂気にしか映らない。頭のおかしい奴扱いだ。一括りなのだ。



観劇の間、私の頭の中は、様々な想いが駆け巡る。
いま世界中で無神論者が増えているらしい。キリスト教だけではなくイスラム教やヒンドゥー教までもSNSで表明している人や、それに賛同している人が大勢いるらしい。情報源は、いま読んでいる本『西洋人の「無神論」日本人の「無宗教」』(中村圭志・㈱ディスカヴァー・トゥエンティワン)だ。筆者は無神論者も無宗教者も宗教のひとつだという見解だ。神や仏を認知しなければ、神や仏は居ないと考えたり信じないことは出来ない。宗教の対立として、有神論VS無神論よりも、一神教型の思考VS多神教・アニミズム型の思考の対立が今後の流れとして大きいという見通しだ。

人類しか持ちえないものの中に社会的思想(略して思想)と哲学と宗教がある。三つの違いを一言でいえば、思想とは社会のあるべき姿を考えることであり、哲学とは現象について論理的に説明できることであり、宗教とは説明できない論理や現象を信じることではないだろうか。これらは、成り立ちは違えど、三つ子であると私は考える。互いに影響を受け乍ら発展してきた。人が思想を持つとき、哲学や宗教が伴う。逆も然りだ。三ツ巴の関係性を持っている。

科学的共産主義をうちたてたカール・マルクスは、「宗教は民衆の阿片」と呼んだ。哲学者であり思想家であり、経済学者であるマルクスの真意は「民衆が宗教に走るのは仕方がないが、宗教の幻想を民衆に棄てろと言うためには、幻想に走らせる現実の改革が重要だ」である。
舞台となる旧ソビエトとは、マルクス・レーニン主義を掲げたソビエト連邦共産党による一党制の社会主義国家であった。直接マルクスが手を下したわけではないが、主義主張の異なる者を浄化と称して抹殺する歴史をもつのも人類である。旧ソビエトだけではない。過去に日本にも『虐殺組曲』(作:井上ひさし)がある。共産圏では拘留された自国民や米人の健康状態悪化を理由に解放された報道は記憶に新しい。彼らは特別ではない、そうした環境に曝されている大衆にオーケストラを用いてトム・ストッパードは描くのだ。聞こえない音楽は、一神教信者に多神教信者の信仰を説明するようなものだ。進化論を認めず聖書を固く信じるキリスト教一派に、仏教の菩薩など一生理解出来ないことだろう。

ご褒美をもらえる方が得なのか?思想の自由を得る方が得なのか。得とは生まれてきた甲斐があるという意味だ。ずいぶん昔に観た『労働者M』(作:ケラリーノ・サンドロヴィッチ)に「不自由は意識から意識は不服従から」という科白がある。当時「人間はただの肉♪にく♪ニク♪」と終演時にも大槻ケンジが歌っていた。何も考えずに受容していた社会に対して意識を持つこと。社会という枠の中で枠の外を知りながら内側で満喫するのか、枠の外を知ったが故に外に求めるのか。選択を迫られる。



二人の患者の治療に行き詰ったとき、物語の世界で権力を握っている大佐が現れ、同じ名前の二人の問題点をすり替え、退院へと導く行為は、前述の共産圏から解放された作家や学生と変わりはない。大佐の策に、患者たちを治療していた医師は唖然となる。小手さんの演技(ウィル・タケット氏の演出)に客席では笑いが起こるが、現実の解放報道を知っている者には恐怖を感じる場面である。二人のイワノフが良い状態へ向かったとは思えないはずだ。人権より国家の体面は重んじる。

ラスト兵士たちが踊り、互いに回し合っているバイオリンは浮遊しているように見てくる。浮遊するバイオリンは魂である。命の源である。若者イワノフはバイオリンを受け取り、中年イワノフへ渡そうとする。しかし、中年イワノフは受け取りを拒絶する。若者は指揮台に上がり、やがてオーケストラ(大衆)に紛れ消えてゆく。彼は大衆に迎合したと解釈するよりも、頭の中のオーケストラ(思想)は、国家に黙認され何処かしらへ消えていったと解釈する。
一方、転向を進める少年イワノフの声がこだまする中、中年イワノフは指揮台に立ち、棒を高々と上げたところで幕となる。
頭の中だけには留まらない、大衆に見聞される言論を手段と出来る作家。彼は転向したのか?自由な思想を表現出来たのか?否・・・。
その答えは明示されない。上演される国や大衆の解釈により判断が異なるのではないだろうか。その国の若者の頭の中で奏でる音(想い)、中年が苦悩する理想と現実と生き様の懸隔。そう考えると現代の日本とも重ならないか。
昭和・平成の生き様と若者の想いへの期待が融和し、令和にはどんな音楽が流れるのか。ストッパードが描く世界ではなく、その音楽(思想)が楽しめる(聞こえる)時代と為っていたいものだ。



2019/4/23マチネ 処:TBS赤坂ACTシアター
2019/5/10ソワレ、5/11マチネ(千穐楽) 処:フェスティバルホール
作:トム・ストッパード 作曲:アンドレ・プレヴィン 翻訳:常田景子 演出:ウィル・タケット
出演:堤真一、橋本良亮、小手伸也、シム・ウンギョン、外山誠二、斉藤由貴、ほかアンサンブル
指揮:ヤニック・パジェ


 
 
 
Commented by 敦子 at 2019-05-13 20:56 x
大阪2公演観ることができました。

初見のソワレでは下手席だった為に全体を見渡すことが出来ず、見終わった後に何やらモヤモヤした感じ(笑)だったのですが、千穐楽はセンターで全体を見渡すことであのバイオリンのシーンも「あっ!そうか!」とモヤモヤが晴れました。

個人的には大好きな作品の一つになりました!
少し時間を空けて、もう一度観ることができたらまた何か気付いたり、今回とはまた違った感覚になるのだろうなと思います。

Commented by luna581 at 2019-05-14 06:57
敦子さんへ

お訪ねありがとうございます。
千穐楽は好かったですね。
ストッパードは難解と云われますが
ひとつ鍵が開くと、ひとつ舫が解れると
世界が広がる経験を楽しめました。

制作側は千穐楽で終わりますが、観客は此処から始まりです。
これが演劇の醍醐味のひとつかと改めて思いました。
やはり止められません。

夏の感想も聴かせてください。よろしくお願い致します。

  
  
by luna581 | 2019-05-12 23:26 | 舞台 | Comments(2)